[梅田事件]


 梅田義光さん



====事件の概要====

 1950年10月10日、北海道北見市の営林局会計課員・Oさん(20歳)が、公金を持 ったまま行方不明になった。警察は公金拐帯事件として捜査を始めたが、手がかり はつかめなかった。

 2年後の1952年、別の留辺蘂営林局会計係員殺害事件の容疑者として逮捕されて いたH(当時28歳)がOさん殺しを自供し、自供に基づいて捜査した結果、Oさん の遺体が発見された。Hは、その後、Oさん殺しの共犯者として、軍隊時代に顔を 知った梅田義光さん(当時28歳)の名を口にした為、北見市警は梅田さんを逮捕し た。(この「逮捕」は、後に、逮捕状もない不当逮捕だと問題になる)

 梅田さんは、刑事に対して「自白」したが、後にこれを撤回し、公判廷において は、一貫して無実を訴え続けた。

 第一審の釧路地裁は、Hの供述を信用し、梅田さんに「無期懲役」を判決。
 札幌高裁への控訴および最高裁への上告は棄却となった。

 服役中に最初の再審請求を行ったが棄却された。
 1971年5月に仮出獄した梅田さんは、その後も無実を訴え続け、2度目の再審請 求において、1982年12月に釧路地裁で開始決定、検察側の即時抗告の棄却を経て再 審裁判が開始され、1986年8月27日に無罪判決を得て雪冤を果たした。






#####視点#####
虚偽自白 - - - 激しい拷問

 梅田さんは、取り調べの刑事によって激しい拷問を受けた事について、強い怒り をもって、次の様に述べている。

「 警部補に『ここまで来たら逃れられないぞ』と言われ、いきなり殴られた。そ して数人の刑事が激しい拷問を行った。顔を拳や平手で殴ったり、警棒の革を馬の くつわの様に口にかけて背中を足で支え革を後ろへ引っ張ったり、また、警棒を正 座している足の間に入れて体の上に乗っかったり、更に、髪の毛や耳を引っぱった り、鉛筆を手の指の間に挟み締め付けたり捻ったりした。
 翌朝、私の手は象の手の様に膨れあがっていた。しかし、刑事は容赦なく昨夜と 同じ様に拷問を繰り返した。あぐらをかかしたまま体を後ろへ倒し、尻のあたりを 警棒で叩いた。私はもう拷問に耐えきれず、とうとう虚偽の自白をしてしまった。 」

 その様にされれば、どんなに強靱な精神力があったとしても真実を貫き通す事は 困難であろう。
 再審により雪冤を果たした重罪事件の殆どに関して、それらが、”冤罪事件”と なった最大の所以がここにある事は、言をまたない。






((( 略歴 )))
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 1950.10.10---Oさん行方不明になる                         
 1952.10. 1---Oさんの遺体発見される                       
      10. 2---梅田義光さん逮捕される                       
      10.25---強盗殺人等で起訴                             
 1954. 7. 7---第一審判決(釧路地裁)・・・ 無期懲役           
 1956.12.15---控訴審判決(札幌高裁)・・・ 控訴棄却           
 1958.11.14---上告審判決(最高裁)  ・・・ 上告棄却           
 1962.10.31---第1次再審請求  ==>  棄却                   
 1971. 5. 1---仮出獄                                       
 1979.12.17---第2次再審請求                               
 1982.12.10---再審開始決定(釧路地裁)                     
 1985. 2. 4---検察側の即時抗告を棄却(札幌高裁)           
 1986. 8.27---再審判決(釧路地裁)  ・・・ 無罪               
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戦後の主な事件

冤罪事件関係データベース