しらとり
[白鳥事件]


 村上国治さん



====事件の概要====

 1952年1月21日午後7時半過ぎ、札幌市南6条16丁目辺りを2台の自転車が走っ ていた。突然銃声が聞こえ、1台が倒れ他の1台は走り去ってしまった。通行人の 知らせで駆けつけた巡査が身元を確かめると、倒れた自転車に乗っていた男は、札 幌市警察署の警備課長・白鳥警部だった。

 捜査当局は犯人を日本共産党員とみなし、様々な名目でめぼしい活動家を逮捕し ていった。
 こうした中で、8月に札幌地区委員会のSN副委員長、10月に村上国治委員長、翌 年4月にOY氏、6月にTT氏、9月にMH氏、という順で、後の裁判に於いて被告およ び検察側重要証人になる人々が次々と逮捕された。

 5人とも当初は黙秘を続けていたが、先ずTT氏が逮捕の1ヶ月後に転向を表明、 ついでSN氏・OY氏も脱党し、TT氏が「1月3・4日頃、村上、私、MH、他4人の計 7人が集まり、白鳥警部殺害の謀議を為した。」「射殺実行犯はSH(注:この供述 の時点で行方不明)である。」という供述をした。
 検察当局は、村上さんを殺人罪(共謀共同正犯)で、MH氏およびTT氏を殺人幇助 罪で起訴した。

 第一審の札幌地裁は、共同謀議があったと認定し、村上さんに「無期懲役」、MH 氏に「懲役5年、執行猶予5年」を言い渡した。
 (途中から分離公判となっていたTT氏には「懲役3年、執行猶予3年」を判決。 TT氏は控訴せず判決確定となった。)

 村上さんおよびMH氏に関しては、検察・弁護双方とも控訴し札幌高裁で争われた が、判決は、村上さんに対しては「懲役20年」に減刑、MH氏に対しては控訴を棄却 した。
 弁護側は更に上告したが、棄却となった。

 村上さんは、再審を請求し、特別抗告の形で最高裁まで持ち込まれ全国的に注目 を集めた。
 最高裁は、「”疑わしいときは被告人の利益に”という刑事裁判における鉄則が 再審開始に関しても適用される」という意味の判断をし、再審の門を広げる解釈を なしたが、この件自体に関しては、結局、「棄却」という結論であった。






#####視点#####
証拠の捏造 - - - 幌見峠の弾丸

 この事件における唯一の物証である弾丸は、捏造されたものである可能性が非常 に高い。
 TT氏の供述(「幌見峠でピストルの試射をした」)により幌見峠を捜索し、数ヶ 月もかかって「発見」した2個の弾丸と、白鳥警部の死体から摘出された1個の弾 丸が、同一のピストルから発射されたものであるという事が、有罪の大きな決め手 となったが、線条痕(ピストルから発射された際に弾丸に付く傷、それぞれのピス トルにより独特の模様がでる)が一致するという鑑定を行った教授は、上告棄却後 に、鑑定は米軍が行ったものである事を告白した。

 また、中国吉林省に於いて、幌見峠と同様の条件のもとに弾丸の腐食実験が為さ れたが、実験の為発射された480発の弾丸は、1つの例外もなく”割れ”が生じ た。幌見峠で「発見」された弾丸は、2個とも”割れ”はなかったのだった。






((( 略歴 )))
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 1952. 1.21---白鳥警部射殺される                           
      10. 1---村上国治さん逮捕される                       
 1955. 8.16---本件の殺人罪で起訴                           
 1957. 5. 7---第一審判決(札幌地裁)・・・ 無期懲役           
 1960. 5.31---控訴審判決(札幌高裁)・・・ 懲役20年           
 1963.10.17---上告審判決(最高裁)  ・・・ 上告棄却           
 1965.11.21---再審請求                                     
 1969. 6.18---請求棄却(札幌高裁)                         
      11.14---仮出獄                                       
 1971. 7.17---異議申し立て棄却(札幌高裁)                 
 1975. 5.20---特別抗告棄却(最高裁)                       
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戦後の主な事件

冤罪事件関係データベース