[財田川事件]


 谷口繁義さん



====事件の概要====

 1950年2月28日、香川県三豊郡財田村で、家族と別居し一人で暮らしていたKさ ん(63歳)が寝巻き姿で血だらけになって殺害されているのが発見された。
 警察は、Kさんがブローカーをしていたとされる闇米の関係者など百名以上を順 次取り調べていったが、一ヶ月たっても犯人のメボシはつかなかった。

 同年4月1日、隣の神田村で強盗傷人事件が発生した。同日夕、その事件の犯人 として、谷口繁義さん(当時19歳)と他1名が逮捕されたが、警察はこの2人をK さん殺しの容疑で追求した。
 他の一人はアリバイが証明されたが、谷口さんははっきりしなかった為、警察は 谷口さんを殺人の犯人とにらみ長期間拘留して過酷な取り調べを続け、その結果、 谷口さんは、Kさん殺しを「自白」、強盗殺人罪で起訴となった。

 谷口さんは公判開始時より一貫して無実を訴えたが、第一審の高松地裁は、捜査 段階での「自白」を有力な証拠として、「死刑」を判決、高松高裁への控訴および 最高裁への上告はいずれも棄却となった。

 「自白は拷問によるものであり、証拠はデッチ上げられたのもである」などとし て再審請求がなされたが、2度目の請求で再審開始が決定、その後の高松地裁での 再審裁判において、1984年3月12日に”無罪”が宣言され、免田さんに続く2人目 の、”死刑確定者の再審無罪による生還”となった。






#####視点#####
証拠のデッチ上げ - - - 提出された手記

 逮捕・拘留されていた時期、谷口さんは一通の手記を書いた。これは、全てがひ らがなで書かれ、内容は当時見た夢である。

 しかし、裁判所に提出されて裁判の証拠にされた手記は違うものだった。裁判所 に提出された手記は5通あり、各3〜6枚の用紙に9百〜2千8百字程が書かれて いる。これらは、多少の調子外れ等があるとはいえ、全体的にまとまりがあり、事 実関係や心情などがよく表現されており、とても小学校しかでていなくて漢字も満 足に書けない人の書いたものとは思えないのもだった。

 また、文中に作為的と思われる誤りが非常に多くみられ、しかも、その誤りは第 1通から第5通まで一貫性に欠き、とても同一人物が書いたものとは思えないもの であった。






((( 略歴 )))
 ********************************************************* 
 1950. 2.28---Kさん殺害発見                               
       4. 1---強盗傷人事件発生                             
              (同日夕)谷口繁義さん逮捕される             
       8.23---強盗殺人罪で起訴                             
 1952. 1.25---第一審判決(高松地裁)・・・ 死刑               
 1956. 6. 8---控訴審判決(高松高裁)・・・ 控訴棄却           
 1957. 1.22---上告審判決(最高裁)  ・・・ 上告棄却           
       3.26---第1次再審請求 ===> 棄却                    
 1964. 3.27---第2次再審請求                               
 1972. 9.30---請求棄却(高松地裁)                         
 1974.12.5---即時抗告棄却(高松高裁)                     
 1976.10.12---地裁へ差し戻し(最高裁)                     
 1979. 6.7---再審開始決定(高松地裁)                     
 1981. 3.14---検察側の即時抗告を棄却 (高松高裁)           
 1984. 3.12---再審判決(高松地裁)  ・・・ 無罪               
 ********************************************************* 



戦後の主な事件

冤罪事件関係データベース