[仁保事件]


 岡部保さん



====事件の概要====

 1954年10月26日、山口県吉敷郡大内町仁保(現山口市内)でYさん一家6人{Y さん(49歳)、妻(42歳)、老母(77歳)、三男(15歳)、四男(13歳)、五男( 11歳)}が殺害されているのを隣家の主婦が発見した。

 警察は、”怨恨”および”物盗り”の両面で捜査を開始した。2ヶ月後には、事 件の第一通報者の夫を”怨恨”の線で逮捕したが、23日間にもわたる勾留の末に釈 放せざるを得なくなり、その後は”物盗り”の面での捜査に重点に移した。

 事件発生後半年しても捜査は進展せず捜査当局に対する批判の声が高まるなか、 県警は、近隣出身の「所在不明者」であった岡部保さんに狙いをつけ、以前の住居 侵入および窃盗未遂事件に関して、微罪としては異例の全国指名手配を行った。

 1955年10月19日、大阪の天王寺駅付近で、岡部さん(当時37歳)は上記の別件容 疑にて逮捕された。取り調べは専ら本件の強盗殺人に関するものであり、更に、別 件起訴後も本件についての取り調べを続けるという刑事訴訟法も無視する違法な取 り調べの結果、ついに、「自白」に至った。

 岡部さんは第一審の第一回公判から無実を訴え続けたが、山口地裁は「死刑」を 判決。広島高裁への控訴は棄却となった。

 上告審の最高裁は、「被告人の自白についての原審の判断は肯定し難い」とし、 高裁へ差し戻しを判決。差し戻し審の広島高裁が、本件につき無罪を宣言、まさに ”九死に一生を得る”形となった。






#####視点#####
苦悩の163日 - - - 別件逮捕拘留

 岡部さんは、別件で逮捕されてから本件で起訴されるまで実に163日ものあ いだ勾留され取り調べを受けた。このうち別件についての取り調べはわずか3日 のみであり、殆どが、後の死刑判決において最大の証拠とされた膨大な「殺人自 白ストーリー」の作成に費やされていった訳である。

 「逮捕から起訴まで最大23日」という刑事訴訟法の規定を、「別件逮捕拘留 」という形で法の精神を無視しつつ、虚偽の自白を引き出していくという行為は 、もはや警察官や検察官の「職務」などではなく「犯罪」そのものだといえるの ではないだろうか。






((( 略歴 )))
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 1954.10.26---Yさん一家6人殺害発見                       
 1955.10.19---岡部保さん別件(住居侵入容疑等)で逮捕される  
      10.31---別件(住居侵入および窃盗未遂)で起訴         
      12.10---他の別件(マンホールの蓋の窃盗)で追起訴     
 1956. 3.30---本件の強盗殺人で追起訴                       
 1962. 6.15---第一審(山口地裁)・・・ 死刑                   
 1968. 2.14---控訴審(広島高裁)・・・ 控訴棄却               
 1970. 7.31---上告審(最高裁)  ・・・ 高裁へ差し戻し         
       9.22---保釈                                         
 1972.12.14---差戻審(広島高裁)・・・ 本件につき無罪         
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戦後の主な事件

冤罪事件関係データベース