[牟礼事件]


 佐藤誠さん



====事件の概要====

 1950年4月13日、東京都渋谷区の女性Iさん(21歳)が行方不明となった。不動 産売買にからむ刑事事件の可能性もあるとみて捜査を進めていた警察は、グループ による誘拐・殺人の線で12月20に佐藤誠さん(当時42歳)を窃盗容疑で、また同月 25日に他1名を同容疑で逮捕した。いずれも否認のまま送検となったが、証拠不十 分につき不起訴となり釈放となった。

 2年後にIさんの母親の要請で再度調査を開始した捜査当局は、佐藤さんの交友 関係を中心に内偵を続け、1952年9月に殺人容疑でM(当時25歳)を逮捕した。M が、佐藤さんおよびK(既に死亡)が共犯であると供述した為、同年10月3日に別 件の窃盗教唆容疑で佐藤さんを再度逮捕した。

 佐藤さんが否認を続ける中、Mの自白により、10月17日にIさんの白骨死体が三 鷹市牟礼の神社境内の裏で発見された為、二人を強盗殺人容疑での逮捕に切り替え 取り調べを続け、10月23日に強盗殺人罪等で起訴した。

 第一審の東京地裁は、佐藤さんを主犯と認定して、佐藤さんに「死刑」、Mに「 懲役10年」を判決した。(Mは控訴せず服役)

 佐藤さんの控訴および上告はいずれも棄却となり「死刑判決」が確定した。一貫 して無実を訴え続けていた佐藤さんは、その後も獄中より8次に亘る再審請求を続 けていたが、訴えが実らぬまま、独房で倒れたのちに運ばれた仙台市立病院におい て、1989年10月27日死去した。






#####視点#####
”最も危険な証言” - - - 「共犯者」Mの知る”真実”

 佐藤さんが”有罪”か”無罪”かの鍵は、「共犯者」のMが握っている。確定判 決においては、Mの供述を”真実”であると認定して佐藤さんに死刑判決を下した 訳であるが、Mの供述には多くの疑問点が存在すると言われる。

 一例としては、第一審判決において「(謀議をなす為に)事件前日に電報で呼び 寄せた」とされているが、電報局には、そういう記録は無いとの事である。

 「共犯者」とりわけ”真犯人”の場合には、「自分の罪を軽くする為」や「他の 共犯者の存在を隠す為」等の理由により、虚偽の供述をなし無関係の者を陥れる場 合が有り得る為、”最も危険な証言”であるとはよく指摘される事である。

 この事件が、「八海事件」「梅田事件」「山中事件」等と同様ではないとは、誰 にも、言い切る事はできないであろう。






((( 略歴 )))
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 1950. 4.13---Iさん行方不明となる                         
      12.20---佐藤誠さん窃盗容疑で逮捕される(その後釈放) 
 1952.10. 3---窃盗教唆容疑で再逮捕される                   
      10.17---Iさんの遺体発見                             
      10.23---強盗殺人等で起訴                             
 1954.10.25---第一審判決(東京地裁)・・・ 死刑               
 1957. 6.20---控訴審判決(東京高裁)・・・ 控訴棄却           
 1958. 8. 5---上告審判決(最高裁)  ・・・ 上告棄却           
 1960. 2.12---第1次再審請求  ==>  棄却                   
 1962. 7. 6---第2次再審請求  ==>  棄却                   
     .  .  ---第7次再審請求  ==>  棄却                   
 1984. 1. 4---第8次再審請求                               
 1988. 4.30---請求棄却(東京地裁)                         
        .  ---東京高裁へ即時抗告                           
 1989.10.27---佐藤さん仙台市立病院にて死去                 
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戦後の主な事件

冤罪事件関係データベース