[木間ヶ瀬事件]


 本田昌三さん




====事件の概要====

 1950年5月7日、千葉県東葛飾郡木間ヶ瀬村のHさん宅で一家4人{Hさん(35 歳)、妻(28歳)、長男(5歳)、次男(1歳)}が殺害されているのが発見され た。警察は、ブローカーを営んでいたHさんの金銭貸借関係のもつれによる恨みか らの犯行とみて捜査を開始したが、捜査は難航した。

 多数の容疑者が取り調べを受ける中、百日以上に亘って勾留され本件につき追及 されていた本田昌三さんが翌年3月に「自白」、強盗殺人罪等での起訴、公判とな った。

 本田さんは、公判廷において、「自白は誘導によるもの」として無実を主張した が、第一審の千葉地裁は、有罪と認定し、「死刑」を判決。

 本田さんの控訴により審理を続けた東京高裁は、「自白」の証拠価値を否定し、 第一審判決を破棄、本件につき無罪を判決した。
 この判決に対して検察側が上告をしない事を決定した為、判決確定となった。






#####視点#####
”虚構性”を見抜いた判決 - - - 「自白」の評価

 東京高裁の判決における、「自白」についての評価は、「この自白は不当に長い 勾留、拘禁ののちに行われたもので、とうてい任意性を認め難く・・・」という事 であった。

 多くの冤罪事件において、”自白の虚構性”を見抜けない事が”誤判”を生み出 す大きな理由となっている事を鑑みれば、この判決の価値は大きいであろう。






((( 略歴 )))
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 1950. 5. 7---Hさん一家4人殺害発見                       
      11.  ---本田昌三さん逮捕される                       
 1958. 9.22---第一審判決(千葉地裁)・・・ 死刑               
 1961. 5.30---控訴審判決(東京高裁)・・・ 本件につき無罪     
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戦後の主な事件

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