[加藤老事件]


 加藤新一さん



====事件の概要====

 1915年7月11日午前1時頃、山口県豊浦郡殿居村のOさん(50歳)が刃物により 殺害された。警察は、Oさんと喧嘩をしていたとの情報により、A(当時37歳)を 逮捕して追及したところ、まず、某夫婦が共犯であると供述した為、その夫婦を逮 捕して取り調べたが、アリバイが成立し釈放となった。次には、「共犯は知り合い の加藤」とした為、加藤新一さん(当時24歳)が逮捕され、本人否認のまま、Aと 共に起訴となった。

 第一審の山口地裁は、Aの供述を信用し、加藤さんに「無期懲役」を判決。
 第ニ審の広島控訴院も同様に「無期懲役」、上告審の大審院で「上告棄却」 となり確定した。

 1930年12月に仮出獄となった後、無実を訴えて再審請求。
 6回目の請求で認められ再審開始が決定。
 1977年7月7日に広島高等裁判所が”無罪”を宣言した。

 逮捕後、実に、62年目の雪冤であった。






#####視点#####
恣意的な判断 - - - ”犯行否認”と「共犯者」の供述

 再審無罪判決は、「共犯者」の供述について次の様に判断した。

「本件において被告人が有罪とされた大きな支柱である共犯者の供述の真実性、信 用性に多大の疑問があり・・・」

 この事件においては、加藤さんが一貫して”犯行を否認”し続けていたにも関わ らず、原判決をなした裁判官は、「共犯者」の供述のみを信用してしまったのであ る。他のまともな証拠も無いまま、犯行を認めた側の供述は信用し、認めない側の 供述は信用しないという、まさに恣意的な判断であったといえる。

 戦後の事件においても、「共犯者」の供述が冤罪を生んだ例は数い多が、戦前に おいては、どれ程の人が”無実の罪”で獄に繋がれたのであろうか。その中には、 処刑されてしまった人もいるであろうし・・・






((( 略歴 )))
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 1915. 7.11---Oさん殺害される                             
       7.25---加藤新一さん逮捕される                       
 1916. 2.14---第一審判決(山口地裁)  ・・・ 無期懲役         
       8. 4---第二審判決(広島控訴院)・・・ 無期懲役         
      11. 7---上告審判決(大審院)    ・・・ 上告棄却         
 1930.12. 6---仮出獄                                       
 1963. 3. 8---第1次再審請求  ==>  棄却                   
 1965. 6.26---第2次再審請求  ==>  棄却                   
 1967. 2.25---第3次再審請求  ==>  棄却                   
 1970. 5.27---第4次再審請求  ==>  棄却                   
 1974. 6.11---第5次再審請求  ==>  棄却                   
 1975. 6.13---第6次再審請求                               
 1976. 9.18---再審開始決定(広島高裁)                     
 1977. 7. 7---再審判決(広島高裁)    ・・・ 無罪             
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戦前の著名な事件

冤罪事件関係データベース