かぶとやま
[甲山事件]



====事件の概要====

 1974年3月17日、兵庫県西宮市内の心身障害児施設「甲山学園」で、女子園児が 行方不明となった。全職員を召集し深夜まで捜索が行われたが、翌日午前1時にな っても見つからなかった。
 18日からは、機動隊も動員して捜索が続けられたが見つからず、19日の夜には、 更に、男子園児F君(12歳)も行方不明となった。
 職員らの懸命な捜索の結果、同日深夜に、浄化槽の中から2人の遺体が発見され るに至った。

 浄化槽の蓋が閉まっていた事から、殺人被疑事件として捜査が開始され、特に職 員に対して集中的な調査が行われた。この結果、4月7日に、保母のAさんが逮捕 された。

 Aさんは、10日後に「自白」させられてしまったが、翌日撤回し、無実を主張し 続けた。検察は、”処分保留”という形で4月28日に釈放した。

 Aさんは、無実を明確にする為、国家賠償請求訴訟を起こしたが、その裁判が結 審する前に再逮捕され、また、裁判に於いて証人となった元園長を含む3人が、次 々と偽証罪で逮捕された。

 その後、Aさんは、殺人罪(F君殺害容疑)により起訴されたが、第一審の神戸 地裁は、弁護側の主張をほぼ認めた形で、”無罪”を判決した。

 ところが、検察側控訴による大阪高裁の判決は「地裁へ差し戻し」。
 上告審の最高裁も「上告棄却」で差し戻し決定を支持した為、神戸地裁にて、差 し戻し審の公判が開始された。

 1998年3月24日、神戸地裁は、「目撃証言」を信用できないとし、検察側の他の 主張もことごとく退け、再度、完全な”無罪”を判決した。

 しかし、「速やかに無罪を確定させるべきである」という多くの”声”を無視す る形で検察側の再控訴がなされた為、裁判史上極めて異例の超長期裁判が更に継続。

 1999年9月29日、大阪高裁は、検察側の控訴を棄却し、3度目の無罪判決を宣言 した。
( 同年10月8日、検察側の上訴権放棄により、無罪が確定。 )






#####視点#####
「公器」の姿勢と”民の声” - - - マスコミ報道とホームページ

 「社会の公器」と称される事もある新聞やTVにおける報道については、現在、多く の問題点が指摘されている。

 ”無罪推定の原則”を無視する「犯人視報道」、事件捜査官等からの”漏洩”にたよ る「横並び報道」、被報道者の将来に多大な悪影響を与える「プライバシー侵害報道」 等々、本来あるべき姿からは、あまりにもかけ離れている報道が多いと言える。

 この事件に関する”再度の無罪判決”の際の報道においても、一部の報道機関におい ては、Aさん本人の意向を無視する形で、裁判所への入出時の姿の撮影などが行われ、 放送に使用されていた。  マスコミにおける”傲慢さ”は、非難されてしかるべきであろう。

 一方、インターネット上においては、多くのホームページ内で、「判決公判に向けて の意見表明」「無罪判決への高い評価」「再控訴をしない様にとの訴え」等、が行われ ていた。

 以下は、関連内容が掲載されていたサイト(含「旧サイト」)のうち、当サイトよりリ ンクさせていただいているホームページ。

 ”民の声”であると言えるかもしれない。




--- 現時点では当該内容が読めない所も有ります ---

 浅野健一ゼミ 

 国賠ネットワーク 

 河野義行さんのページ 

 「野田事件」のページ 



--- おっと忘れてはいけない ---

 冤罪甲山事件 







((( 略歴 )))
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 1974. 3.17---女子園児行方不明となる                       
       3.19---男子園児F君行方不明となる                   
              (同日深夜)2人の遺体発見される             
       4. 7---保母のAさん逮捕される(以下Aさんに関して) 
       4.28---処分保留で釈放                               
       7.30---神戸地裁へ国家賠償請求訴訟提起               
 1975. 9.23---不起訴処分                                   
 1978. 2.27---再逮捕                                       
       3. 9---殺人罪で起訴                                 
       3.24---保釈                                         
 1985.10.17---第一審判決(神戸地裁)・・・ 無罪               
 1990. 3.23---控訴審判決(大阪高裁)・・・ 地裁へ差し戻し     
 1992. 4. 7---上告審判決(最高裁)  ・・・ 上告棄却(差し戻し支持)
 1998. 3.24---差戻審判決(神戸地裁)・・・ 無罪               
 1999. 9.29---第2次控訴審判決(大阪高裁)                 
                        ・・・検察側の控訴を棄却(無罪判決を支持)
      10. 8---無罪確定                                     
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戦後の主な事件

冤罪事件関係データベース