[波崎事件]


 富山常喜さん



====事件の概要====

 1963年8月26日午前零時過ぎ、茨城県鹿島郡波崎町のIさん(35歳)が、自宅で 急に苦しみだし、近くの波崎済生病院で手当を受けたが、翌日午前1時半頃死亡し た。同日午後に同病院内で行われた解剖の結果においては、「青酸中毒死の疑いを 抱く」が、臭気が強くはない等の理由で、(一般的な青酸中毒死状態からは)やや 「異例」の症状であるとされた。

 不審死につき殺人事件の可能性もあるとみて捜査を始めていた警察は、Iさんが 苦しみだした時に「箱屋にだまされ、薬を飲まされた」と言っていたというIさん の妻の証言を重視し、魚の梱包用木箱作りもしていた「箱屋」こと富山常喜さん( 当時46歳)に狙いを付けていった。

 警察は、10月23日に、富山さんを別件の私文書偽造および同行使容疑で逮捕、そ の後、別件での勾留を解除し釈放した直後、保険金目的の毒殺容疑で再逮捕して取 り調べを続けた。
 富山さんは、殺人に関して一貫して否認を続けたが、11月30日に、殺人および私 文書偽造、同行使罪で起訴され、その後、別の保険金目的殺人の未遂事件(被害者 夫婦がハワイからの復員者で「ハワイ屋」と呼ばれていた為「ハワイ屋事件」と称 される)に関しても疑われ、殺人未遂罪等で追起訴された。

 第一審の水戸地裁は、「ハワイ屋事件」も含め有罪として「死刑」を判決。

 控訴審の東京高裁は、「ハワイ屋事件」に関しては無罪とし原審を破棄したが、 Iさん殺害に関しては有罪として、改めて「死刑」を判決した。
 その後、最高裁が上告を棄却した為、控訴審判決が確定した。

 第2次再審請求に係る東京高裁への異議申立て審の審理中であった2003年9月、 富山さんは、東京拘置所内において、無念の獄死(病死)により、その一生を終えた。






#####視点#####
裁判官の「心証」 - - - 明確な証拠なき判決

 この事件には、富山さんの有罪を確定ずける明確な証拠は何ひとつ存在しないと いえる。存在するのは、Iさんの妻が聞いたと言うダイイングメッセージに関する 証言やIさんの死亡保険金の受取人の一人に富山さんがなっていた事などからくる 「疑わしい」という裁判官の心証形成である。

 第一審判決で有罪とされた別件の「ハワイ屋事件」関係を、控訴審判決において 「無罪」とせざるを得なかった事からも、情況証拠による判決がいかに脆いかを控 訴審判決自身が如実に語っているのではないだろうか。

 「病死」や「自殺」の可能性等も指摘されており、「毒殺事件」である事さえも 断定はできないこの件において、いかに「自由心証主義」とはいえ、確たる証拠も ないままの判決には大いなる疑問を呈せざるを得ない。






((( 略歴 )))
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 1963. 8.26---Iさん急死                                   
      10.23---富山常喜さん別件(私文書偽造等)で逮捕される 
      11.09---一旦釈放後に殺人容疑で再逮捕                 
      11.30---殺人罪等で起訴                               
      12.21---「ハワイ屋事件」の殺人未遂罪等で追起訴       
 1966.12.24---第一審判決(水戸地裁)・・・ 死刑               
 1973. 7. 6---控訴審判決(東京高裁)・・・ 死刑               
                                    (「ハワイ屋事件」は無罪)
 1976. 4. 1---上告審判決(最高裁)  ・・・ 上告棄却           
 1980. 4. 9---第1次再審請求  ==>  棄却                   
 1987.11. 4---第2次再審請求                               
 2003. 9. 3---逝去                                   
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戦後の主な事件

冤罪事件関係データベース