[晴山事件]


 晴山広元さん



====事件の概要====

 1972年5月6日、北海道空知郡月形町在住のTさん(19歳)が帰宅途中に 行方不明となり、翌日に自宅付近で全裸死体で発見された。
 また、同年8月19日、砂川市在住のKさん(19歳)も帰宅途中に行方不明 となり、同月26日に樺戸郡新十津川町の山林内において全裸死体で発見された。
 警察は連続婦女暴行殺人事件とみて捜査を続けていたが、捜査は進展せず迷宮入 りの様相となった。

 2年後の1974年5月11日に空知郡奈井江町で発生した強姦致傷事件の容疑で同月 26日に逮捕された晴山広元さん(当時40歳)が上記2件の犯行を「自白」、強姦致 傷罪で起訴さらに殺人罪で追起訴となり、公判となった。

 晴山さんは、第一審の第4回公判より上記2件の犯行を否認したが、札幌地裁は 有罪判決を下した。量刑については、上記2件に関して”殺意”は認めず「強姦致 死」と認定、3件目の「強姦致傷」を含め「無期懲役」の判決であった。

 弁護側および検察側双方の控訴により審理が続いたが、札幌高裁は、”未必の故 意”による”殺意”を認定、更に、第一審判決では否定された「(Kさんの)死体 遺棄」も認定し、「死刑」を宣告した。
 最高裁に対する上告は棄却となり、「死刑判決」が確定した。

 晴山さんは、無実を訴えて獄中より再審請求を行なったが、2004年6月4日、 全身衰弱により、獄中で病死した。






#####視点#####
「無期懲役」から「死刑」へ - - - ”自白撤回”

 2件の「殺人」に関しては、控訴審判決において、”まともな証拠”は殆ど見い だせていない様である。晴山さんの「自白」以外では、「血液型」「現場に残され た新聞紙(読売新聞)」「同、色付きの布きれ」などの「物証」が挙げられている が、「血液型」や「新聞紙」は、”(犯行の)可能性がある”という事に過ぎず、 「布きれ」に関しては晴山さんの次男が「(その様な)色の付いているものは積ん でいなかった」と否定している。

 次男の証言については、「(その年齢や環境から考えると)信用性に欠ける」と されてしまっているのだが、結局、控訴審裁判官が「有罪心証」を持った最大のも のは、「自白」であったと言えるのではないか。

 特に、第一審の途中から”自白を撤回”した事に対する評価の違いが、「無期懲 役」から「死刑」へと判決を変化させた主要因だった可能性は高い。

 控訴審裁判官は、その”撤回”の過程を自分で見てはいないのである。
 ”誤判”の可能性を感じた第一審裁判官は、「死刑」だけは避け、”撤回”の過 程を見ていない控訴審裁判官は、その過程を見てはいないが故に、死刑判決を下す 事に躊躇しなかったというのはうがち過ぎであろうか。






((( 略歴 )))
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 1972. 5. 6---Tさん行方不明となる                         
       5. 7---Tさんの遺体発見                             
       8.19---Kさん行方不明となる                         
       8.26---Kさんの遺体発見                             
 1974. 5.11---強姦致傷事件発生                             
       5.26---晴山広元さん強姦致傷容疑で逮捕される         
       6. 7---強姦致傷罪で起訴                             
       6.22---殺人罪等で追起訴                             
 1976. 6.24---第一審判決(札幌地裁)・・・ 無期懲役           
 1979. 4.12---控訴審判決(札幌高裁)・・・ 死刑               
 1990. 9.13---上告審判決(最高裁)  ・・・ 上告棄却           
 1992. 9.24---再審請求                                     
 2004. 6. 4---晴山さん獄中で病死                           
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戦後の主な事件

冤罪事件関係データベース