[二俣事件]


 須藤満雄さん




====事件の概要====

 1950年1月7日朝、静岡県磐田郡二俣町のOさん宅で、一家4人{父(46歳)、 母(33歳)、妹(2歳)、妹(0歳)}が血まみれとなって死んでいるのを長男が 発見し二俣署に届けた。押し入れ内の散乱の様子等から強盗殺人の疑いが強いとみ た警察は、素行不良者とみていたものを中心に片っ端から呼び出し3百名以上を取 り調べていった。

 そんな中、警察は、取り調べをした際にアリバイを明確にできなかった須藤満雄 さん(当時18歳)を別件の窃盗容疑で逮捕、本件について追及していった。
 須藤さんは、主張したアリバイも崩され「自白」。送検後も「自白」を維持し起 訴されたが、起訴後に、警察での取り調べがひどかった事を訴え「自白」を撤回し た上申書を書き検事へ送った。

 警察での取り調べにおいて”拷問”があったという須藤さんの主張を裏付ける内 部告発証言がされたりもしたが、第一審の静岡地裁は、須藤さんの「供述調書」等 を証拠に有罪と認定し、「死刑」を判決。その後の東京高裁への控訴は棄却となっ た。

 須藤さんの上告により審理をした最高裁は、自白の真実性を疑い、静岡地裁へ差 し戻す事を判決。
 差し戻し審の静岡地裁は、「供述に任意性ありとは認められず証拠能力がない」 とし、本件につき無罪の判決をなした。
 その後、検察側の控訴により審理が続いた東京高裁の判決が、「控訴棄却」とな り、危うく死刑にされかった須藤さんが、やっとの事でその恐怖から逃れられる事 が確定したのである。






#####視点#####
証言された”拷問” - - - 現職警官・Y巡査の内部告発

 多くの冤罪事件において、取り調べの際に”拷問”があったと被告とされた側か らの訴えがなされているが、いかんせん密室内での出来事であるが故に、それを証 明する事は困難を極める。それを行った側からの証言などは、あり得べくもないの が普通であろう。

 しかし、この事件においては、二俣署に勤務していた現職警官のY巡査が、”取 り調べの際に拷問があった”という内部告発をしている。

 弁護人の尋問に対してY巡査は、次の様に証言した。
「・・・なかなか言わない者については裏の土蔵で調べました。・・・」
「・・・(別の人を国警の道場で取り調べた際に)ひいひいいう声が道場の裏手を通 る人に聞こえて具合が悪かったとの事でした。ところが町警察の土蔵で調べた時には 何も外部へはもの音が聞こえなくてよかったとの事でした。そのため拷問するといっ た取り調べについては土蔵で行うようになったのです。・・・」

 この証言の後にY巡査が受けた迫害(「偽証罪」での追及から「狂人なり」として 精神鑑定に付される等)は、「被告人の司法警察官に対する自白は・・・任意性がな い」とした差戻審判決の内容と共に、記憶され続けるべきであろう。






((( 略歴 )))
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 1950. 1. 7---Oさん一家4人殺害発見(前日殺害推定)       
       1.23---須藤満雄さん別件(窃盗容疑)で逮捕される     
       3.17---強盗殺人罪等で起訴                           
      12.27---第一審判決(静岡地裁)・・・ 死刑               
 1951. 9.29---控訴審判決(東京高裁)・・・ 控訴棄却           
 1953.11.27---上告審判決(最高裁)  ・・・ 地裁へ差し戻し     
 1956. 9.20---差戻審判決(静岡地裁)      ・・・ 本件につき無罪
 1957.10.26---第2次控訴審判決(東京高裁)・・・ 検察側の控訴を棄却
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戦後の主な事件

冤罪事件関係データベース