[榎井村事件]


 吉田勇さん



====事件の概要====

 1946年8月21日未明、香川県仲多度郡榎井村のTさん(43歳)が自宅内で射殺さ れた。警察は、暗闇の中で犯行を目撃した被害者の妻および逃走状況を目撃した隣 人の証言により、2人組の犯行と判断して捜査を開始した。

 同月28日、別の事件の検問にかかり身柄拘束された吉田勇さん(当時18歳)が、 本件殺人に関しても追及された。吉田さんは、本件に関して否認を続けたが、共犯 とされた知人の供述により、本件の射殺犯とされ、正式勾留・予審尋問を経て公判 となった。

 第一審の高松地裁は、「共謀」を認定し、二人に対して有罪判決を下した。吉田 さんは殺人罪等で「無期懲役」、知人は住居侵入罪等で「懲役6年」の判決であっ た。
 吉田さんは、無実を訴え控訴した。(知人も第一審公判途中より否認に転じてい たが、家族の経済的負担等の理由により控訴せず確定)

 控訴審の高松高裁は、吉田さんに対し、量刑を変更して減刑の「懲役15年」を判 決、その後の最高裁への上告は棄却となった。

 服役を経て、1990年3月に行った再審請求が認められ、1993年11月に再審開始決 定。1994年3月22日に高松高裁は、知人の供述を「その内容及び供述の経緯の双方 から見て、虚偽の供述である疑いが濃厚で到底信用できないというべきである」と して、吉田さんに対して、本件につき無罪を宣言した。






#####視点#####
”偽計”を用いた誘導 - - - 共犯とされた知人の「自白」

 この事件においては、共犯とされた知人の「吉田さんが射殺した」という捜査段 階での供述が有罪判決の決め手となった。
 何故、その様な供述をしてしまったのであろうか。

 この知人は、当初は「事件には関係しとらん」と強く否定していたのであるが、 取り調べ官には全く聞き入れてもらえず、長期に亘る拘束により心身ともに疲れ果 ててしまった頃に、「吉田は犯行を認めている」「おまえと一緒に行ってやったと 自白している」「現場に落ちていた弾丸と吉田が持っていた拳銃の線条痕が一致し た」という虚偽の事実を聞かされたのである。

 こうして、「吉田さんが犯人であり自分を共犯にしようとしている」と思いこん でしまった知人は、取り調べ官の「お前は一緒に行っていただけで何もしていない から、罪も軽いのですぐ帰れる」という言葉にすがりつく形で虚偽の供述をしてし まった様である。

 取り調べ官の”偽計”を用いた虚偽自白の誘導が、吉田さんおよびこの知人の人 生を大きく狂わせてしまったのである。






((( 略歴 )))
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 1946. 8.21---Tさん射殺される                             
       8.28---吉田勇さん別件で身柄を拘束される             
 1947. 1.30---正式勾留となる                               
       2. 7---検察官が予審請求                             
       5. 2---予審判事が公判に付す決定                     
      12.24---第一審判決(高松地裁)・・・ 無期懲役           
 1948.11. 9---第二審判決(高松高裁)・・・ 懲役15年           
 1949. 4.28---上告審判決(最高裁)  ・・・ 上告棄却           
 1955. 5. 6---仮出獄                                       
 1990. 3.19---再審請求                                     
 1993.11. 1---再審開始決定(高松高裁)                     
 1994. 3.22---再審判決(高松高裁)  ・・・ 本件につき無罪     
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戦後の主な事件

冤罪事件関係データベース